どうも、さやです
金持ちと聞くとなにか悪い印象を抱かれがちなこの世界…今日はそんなお話をしようかなと思う
「常識」がなぜ作られたか
結局は人から聞いた話になってしまうが、私は世間の常識に一石を投じたい
卑怯 = 金持ち?
なぜ金持ちはこんな否定的な見方をされるのだろうか
ドラマや映画を見ているときまって悪者扱いにされるのがお金持ちだ
特に、子ども向け、もしくは子どものような大人向けの映画となると必ず金持ちが悪人になる
そんな風な世界にいるから、なんとなくお金を求めるのは悪いことのように思えてくる
たしかに、卑怯なことをして人からお金を搾取するような詐欺師がいるのは事実だ
だからといってお金を持っている人にそのような人と同じ印象を抱くのは、包丁を扱うコックさんを殺人鬼とみなすようなものである
でも、そのようにお金持ちに悪い印象を抱いてしまうのももうちょっと深い理由がある気がする
お金持ちはなにをしているかが見えない
お金をどうやってそんな得たのか? それが普通に働いているとなかなか見えない
ヒトはワカラナイことに対して異様な恐怖心を抱く
暗闇が怖いのはなぜだろうか?
たしかに、夜中に肉食動物に襲われる経験からもあるだろう
しかし本質的に、「見えない」からというのがある
なにがあるかわからないという状況は人間にとって十分な恐怖になりうる(たとえそれが住み慣れた家であっても)
そして昔の人はその恐怖を、「お化け」や「幽霊」と名付けた
話はそれたが、ワカラナイものに対して恐怖は時に「邪悪なもの」として見なす人間の性質があるらしい
お金持ちは、どうしてそんなお金を得られるようになったのか? きっと悪いことをしたに違いないというように
本当は勉強家
お金持ちな人は常に学ぶ姿勢がある
そして持っている知識の量も半端ではない
ところで私達は、学校に行くために勉強をする
「こんなのは社会に役に立たないよね」なんて愚痴りながら学生生活を送り、学歴を得るために受験をしている
私はそういった勉強が役に立たないとは思わないが、いま現時点で、どういう意味があるのかイメージはできない
というのも、私は、学校の勉強とはずばり、「なにをするのか定まっていない人への教養」だと思っている(これはなにも将来が見えていない人を揶揄しているのではない)
小学生〜高校生にかけて自身がなにをしたいのかが分かっているのはごく少数であろう
そのために、「なんでもある程度できるように」いろんな科目の勉強をさせているのだと考える
しかし、ここには「お金持ちになるための勉強」は含まれていない
それに気づいたお金持ち候補は自分で学んだり、経験したりしてその道で生きる術を取得していく
ただし、ここで注意してほしいのは「お金持ちになる勉強」とはなにも数学や理科といった分野のような話ではなく、「学校の勉強」といったとても包括的なものである
理科がお金持ちになることを容易にするなら、理科もその一部になりうるということだ
(ところで、なぜ学校がお金持ちになるための勉強を教えないか…それはお金持ちは税金をうまく逃れる方法を知っているし、全員がそうなってくると税金が政府に入ってこなくなるから、ということではないかと思う)
そうして、お金持ちじゃない人の中で、自分にとってワカラナイものに対して、悪い印象をもつことになるのかもしれない